都市農業を考える
都市農業はいま、たとえば東京江戸川区に見られるように、徹底的なハウス農業でなければ、農業生産物販売で成立させることができなくなっています。多くの都市的な暮らしを送っている人たちのイメージと異なって、都市で農業をしようとしたら、「工業生産的農業」にならざるを得ないのです。
つまり、農業といえども、自然に左右されるようでは「商売」として成り立たないということです。ハウス農業なら栽培環境(気温や水分量)をコントロールできますから、安全な無農薬・有機栽培が可能になります。
これでいいのでしょうか。もちろん、農業のあり方として、その選択は現在の社会を前提とするかぎり、当然の方向のひとつと言えます。
ただし、そのようなハウスが「生産緑地」かと投げかけられると、疑問がないわけではありません。オープンな「露地栽培の畑」の環境的な機能と、屋根付きの「ハウス栽培の畑」の環境的な機能は違ってくるし、「景観」という意味でも大いに違ってくるからです。
都市農業は、ほんとうにハウス農業で土地生産性を上げる以外に、生き残りの方法はないのでしょうか?
減り続ける農地
江戸時代。江戸市中をはじめとして、各地の城下町は「畑」をまちなかに取りこんだ都市でした。
たしかに、江戸には庶民の小さな家が集まった長屋もあり、狭い下町区域で数十万の庶民が暮らしていたのも事実です。しかし、江戸の大半は大名屋敷で占められていて、その大名屋敷、ことに下屋敷には多くの畑がありました。それだけではありません。下級武士の屋敷でも、畑がつくられていたのです。
当時、世界最大の100万都市でも、ひじょうに快適な環境であったのは、この多くの畑が機能したからでしょう。
明治になって、ヨーロッパ型の都市計画がはじまると、都市の中にあった畑はどんどん駆逐されてしまいます。コンパクトな市域が城壁に守られ、その外に畑のあったヨーロッパの都市とは異なった構造の日本の都市に、ヨーロッパ型の都市計画を未消化なまま持ち込んだのですから、たまりません。
都市内に公共空間をもたず、都市をコンパクトにまとめることもしなかったため、東京をはじめとする日本の都市は郊外の農地を呑みこみ、スプロールしながら拡大していきました。
東京都では、1910(明治43)年には約6万1000ヘクタールあった耕作地が、2005年には8千300ヘクタールにまで減少しています。もともと大都市での地産地消は不可能ですが、ここまで農地が減少すると環境的にかなり厳しいことになるはずです。さあ、どうすればよいのでしょう。
ミュゼダグリの取り組み
ミュゼダグリは、現在の市場社会を前提とする限り、都市や都市近郊の農地を「露地」として維持するには、もはやこれまでの農業では不可能と考え、「農業のサービス化」による高付加価値の実現を提案しています(山の中の一次産業も、同じようにサービス化が必要だと考えています)。
農業の収益性向上には何のメリットもない単なる「援農」や、<農産品販売+指導料>というあまりにも現実離れした「体験農園経営」でもなく、農の過程全体をレクリエーションという形に洗練させて、都市的土地利用に匹敵する収益性を「農業経営」にもたらすという発想です。
農家が経営主体であり、かつ農地が耕地として適切に維持管理されていれば、生産緑地法に抵触することもありません。農地が民間で維持されれば、その環境的効果に対して、現在の各種の優遇税制(とはいいますが、もともと農地であった土地を都市計画区域として囲い込み、宅地並み課税を押しつけたのであって、暫定的に緩和しているにすぎません)は、露地としての農地が担保されている限り、継承すればいいと考えています。
しかし、このような提案は、目に見える「生産物の販売」から、目に見えない「時間の販売」に転換するものであるだけに、そう簡単には理解されないでしょう。そのため、わたしたちは、農業のサービス化における周辺事業から活動に着手しています。それが「江戸東京野菜」を活用する農・商連携のまちの活性化や、「農のファッション」などです。
