江戸野菜博物館
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江戸野菜図鑑
鳴子瓜(なるこうり)
東京都新宿区西新宿の青梅街道沿いに「成子天神下」という交差点があります。まわりは高層ビルだらけになっていますが、 近くには、いまもちゃんと「成子天神」があります。じつは、このあたり一帯は、江戸時代に将軍家御用達の「真桑瓜」の産地でした。 甘いものの少なかった江戸時代、さっぱりした甘みの「真桑瓜」は、なかなかの人気でした。しかし、この真桑瓜、多くの江戸野菜と 同じように出身は中部地方で、美濃の国は真桑村が本場だったということです。「真桑瓜」そのものは、応神天皇のころ(413年) には栽培されていたといいますから、伝統野菜(果物?)そのものです。
徳川家康は、江戸城開府後、どうやら故郷の尾張から種子を取り寄せ、最初は府中で栽培させたようです。のちには府中は鳴子瓜の バックヤードになったということですが・・・。
ところで、成子はもともと「鳴子」と書いていました。つまり、畑で野鳥を追い払う用具から名づけられたものです。そこで、 鳴子で穫れた瓜ということで「鳴子瓜」でした。地名の方は、どうやら、あまりに土臭いということで、成子に変えられたと 言われています。

北斎漫画に描かれた「真桑瓜」(鳴子瓜)
練馬大根と金町こかぶ
練馬大根もそのルーツは、尾張の宮重大根といわれています。江戸付近で栽培されていた地大根と交配して、沢庵漬けに 適した大型の大根となったということです。本格的な練馬大根は、大きく育つことから、収穫時に簡単に引き抜くことはで きません。この北斎漫画の大根は、格好からすると「練馬尻丸」のようです。東京・練馬区では、住宅地の中野畑で「純正 練馬大根」がつくられていますが、核家族が中心となった現在の家族構成では、大きすぎてとても「家庭用」としては消費 されませんし、また、沢庵漬けをつくるにも、都市の住宅事情では、とても困難です。
最近では、大根は「青首」と呼ばれるものが主流で、しかも手頃な大きさですので、それ以外のものは、すっかり姿を消 してしまいました。
しかし、こと大根については、かつては江戸周辺が品種も多く、味も優れたものを生産していました。その代表が、 この練馬大根です。
さて、蕪です。この絵の蕪はやや大振りで、「金町こかぶ」ではないのは一目瞭然です。第一、「金町こかぶ」は江戸野菜ではないのです。 どうやら西洋種で明治に日本に入ってきた系統のようです。だから「金町こかぶ」は東京の伝統野菜(だって100年以上もつくりつづけられたのですから) だけれど、江戸野菜じゃない。北斎の絵に出てくるはずはないのです。ただし、蕪そのものは、北斎の時代にも金町付近でつくられていたのは事実です。 その末裔があれば、金町の隣の葛飾柴又から拝借して「寅さんかぶ」とでも名づけたいものですが・・・。

北斎漫画より
内藤南瓜
いま東京・新宿の東南にある新宿御苑は、信州・高遠藩の内藤氏の下屋敷でした。で、その一円の町名を内藤町と称して いました。そこでつくられていたのが「内藤南瓜」です。これは「菊座南瓜」の仲間で小型の日本南瓜でした。もちろん、「内藤南瓜」 の直系の系統はいまはありませんが、この仲間には「神田小菊南瓜」があります。奈良県でいまもつくられていますが、日本南瓜は 西洋かぼちゃのようにほくほくした甘みはありません。西洋南瓜の味になれた人には、味の薄いねっとりした食感は違和感がある かもしれません。このような日本南瓜の特性は、日本風の煮付けに合う、つまり微妙なだしの味にちゃんと応えるところにあります。
江戸の南瓜は、居留木橋(いまの品川の近く)で1638年に栽培されたのがはじまりといいます。 居留木橋南瓜は昭和初期まで関東地方で広く栽培されていました。果実は、縦溝が15ほどの扁球形 で、果面には瘤状のごつごつした凹凸があります。このごつごつの凹凸のないものが内藤南瓜(菊座 南瓜)です。輪切りにすると菊の花に似ているから名づけられたといわれています(花が落ちた跡の 見かけが菊座つまり肛門に似ているからという話もあります)。ちなみに、日本に南瓜が到来したのは 1541年だということです。そのころはきっと西洋種も日本種も似たようなものだったでしょうから、 いま見かけや味がちがうのは、まさにそれぞれの文化や環境、味覚に対応したからなのでしょう。

内藤南瓜

いまの菊座南瓜
