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江戸東京野菜とミュゼダグリ

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まち全体をミュージアムにする

(1)「江戸東京野菜」博物館という構想

「江戸東京たてもの園」は、江戸から東京へと時代が変わっていくころのまちのたてものの博物館です。しかし、建物が並んでいるだけでしたら、建築物の研究者以外の人たちには、あまりおもしろみはありません。再現された街並みに、江戸や東京のかつての暮らしが感じられなければなりません。その大きな要素が「食」であることは言うまでもないでしょう。江戸や明治の東京に暮らす人びとが食べていたいろいろなレベルの食事が実際に食べられれば、まさに生きた博物館となるからです。

ところが、肝心の江戸時代から明治時代にかけて江戸・東京でつくられていた野菜については、文献に名前が載っているのに、そのほとんどは、いまは見ることができません。練馬大根や小松菜のように、江戸の地名のついた野菜で現在も栽培されているものもありますが、総体として「江戸東京野菜」という名称でまとめられたものはありません。

たしかに京・大坂といった上方に比べて、江戸の野菜は野暮だったと言われてはいますが、江戸近郊の農家は懸命に畑作物を育て、すでに1660年代には促成栽培の野菜がつくられていたのです。式亭三馬が「浮世床」や「浮世風呂」を著したころには、江戸の庶民は野菜の旬の時期さえわからなくなるほど、多様な青物が出回っていたといいます。

ところが今日、そのようにしてつくられた「江戸野菜」がどんなものであったかわからなくなっており、京都では「京野菜」が、大阪では「難波(なにわ)野菜」が現役で元気に栽培されているのに比べ、ちょっと寂しい気がします。

この意味で「江戸東京たてもの園」と提携しながら、小金井を生きた「江戸東京野菜」の博物館にするのは、江戸・東京の歴史の味の追体験ということでも大きな意義があります。当然、その技術的支援は研究蓄積のある農業振興事務所の研究の一環でやってもらおうと考えたのです。

このような展開ならば、小金井の農業の活性化(他のまねのできない農業つまり競合のない「独占」農業となります)はもちろん、「江戸東京たてもの園」の活性化、小金井の商店街の活性化などに、すべてからむだけではなく、小金井市に立地する農工大、学芸大(博物館経営・環境教育)、法政大(建築意匠・まちづくり)と地域との連携も深められます。

図-4

(2)「江戸東京野菜」博物館のミュージアムグッズ

さらに農業の関連分野を見ると、小金井市では「鴨下製糸」で1978年まで絹糸が生産されていました。小金井市をはじめ多摩地区一体は桑畑がつづく養蚕地帯だったからです。そのような地域性もあり、東京農工大学の工学部付属繊維博物館では、伝統的な絹織物や毛糸などの技術を博物館のサークル活動として、まさに生きた形で保存しています。 昔ながらの機織り機でつくった絹の布や組紐、さらには綿花栽培から綿布づくり、藍を栽培しての藍染め。これらのサークルは、とても人気があります。

そこで、この博物館サークルの技術と「江戸東京野菜」とを結びつけることを考えました。つまり「江戸東京たてもの園」と「江戸東京野菜博物館」のミュージアムグッズとして、江戸野菜をデザインした織物を制作するのです。サークル活動の有志がコミュニティ・ビジネスとして「江戸東京野菜デザイン」の商品を生み出すということになります。一般のミュージアムグッズは専門業者がつくっていますが、ここでは地域起こしの一環として小金井の人たちがつくる、まさに手づくりのミュージアムグッズです。価格も、他との競合がないことから、ある程度高めに設定することも可能です(むしろ、高めに設定して、「小金井の」ブランド商品にすることを考えます)。

また、制作過程そのものを商品とすることもできます。ことに「レクリエーション農園」と組み合わせれば、まさに21世紀型の時間産業となります(楽しみながらレクリエーションとしてやっていることが、ものづくりであり、受け身的な時間消費とは大きく異なります)。

また、小金井市には、おいしい和菓子屋さんがいくつかあります。「江戸東京」をテーマに「江戸東京野菜」に似合う和菓子を開発すれば、これも小金井のブランド商品になります。

しかし、ここでの提案は、小金井市を中心に「江戸東京たてもの園」、東京農工大学・東京学芸大学・法政大学などの大学、農業者、商工会、そして市民が連携し、身近な資源を活用して「持続可能な」まちの活性化を図ろうというものであって、その手段である各種のコミュニティ・ビジネスは、小金井市域をこえて拡大しないことが前提となります。

図-5

(3)ミュージアム・ネットワークをつくる

いま一度、小金井市をながめてみましょう。わたしたちは、小金井市の魅力のもととなっているのは、何と言っても住宅と農地の混在にあり、農業者が元気に農地を活かすことが、その魅力を維持するのに必要と考えました。そこから「江戸東京野菜」博物館を提案しています。

しかし、その「江戸東京野菜」博物館は一般の博物館と違って、実際の農地や街並み、レストランなどから構成されることになります。そしてまた、「江戸東京たてもの園」と東京農工大学・東京学芸大学・法政大学といった研究機関があってはじめて成立するものといえます。つまり、小金井の魅力を支えるためには、これらの研究機関が大きな役割を果たすことになると言うことです。研究機関が、自らの研究や教育の一環として「江戸東京野菜」博物館の学芸員の役割を担うのです。

さらに小金井には、文化的な要素や自然的な要素が数多くあります。はけの森美術館(小粒ながら、運営次第ではかなりおもしろい美術館になるはずです)や個性のあるギャラリー、いろいろな演劇団体の本拠地、金蔵院や三光院、貫井神社といった江戸時代以前に建立された寺院や神社、さらに玉川上水や野川、はけ(国分寺崖線)など、これらをうまくネットワークすれば、「江戸東京野菜」博物館を核にして、小金井のまち全体をミュージアム(日本語の「博物館」より、かなり広い意味をもっていますので、あえてカタカナで使います)として展開することも可能です。

このような展開をすれば、小金井市は、吉祥寺や立川といった外部資本による大型商業集積に頼るまちづくりではなく、東京郊外の「知的なサービス」が楽しめる落ち着いたまちとして、これまでにないやり方で活性化されていきます。商業集積は、このような展開をすることにより、自ずから個性豊かな路面店が生み出され、他の地域とはひと味もふた味も異なった形ですすむはずです。

このようにしてできあがる全体のネットワークが、「食と手業と文化のミュージアム・シティ」ということになります。

図-6

(4)どんな組織でどう進めるか

図-7

「食と手業と文化」のミュージアムは「江戸東京野菜」博物館を中心として、概念的に組み立てられるミュージアムです。一般の博物館のように建物があるわけではありません。江戸東京野菜栽培農家と「江戸東京たてもの園」はじめ販売店・レストランを結んだり、大学と提携して技術支援を行ったりします。いわば、食と手業と文化に関して、いろいろなプロジェクトを束ねている組織といえるかもしれません。

1つひとつの事業は、それぞれに応じてプロジェクトが設けられ、実行して行きます。これらのプロジェクトは、会社組織であったり、NPOであったり、その事業の特質に応じて、もっとも適切な組織がつくられます。

図-8

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